東京の歴史巡り① 東京を造った徳川家康
日本観光と言えば、まず東京に行く人も多いでしょう。
このコラムでは、東京にまつわる歴史と、その観光スポットを紹介します。
昔は超田舎だった東京
東京は、初めから日本の首都だったわけではありません。
記録として残る最初の主要都市は、関西(かんさい)地方の奈良(なら)県にありました。
その後、日本の首都は8世紀半ばに同じく関西地方の京都(きょうと)に移り、19世紀後半まで日本の中心として機能していました。その当時、東京を含む関東(かんとう)地方は、関西からみると遠く、未開の地でした。
12世紀末になって関東の武士が一致団結し、神奈川(かながわ)県の鎌倉(かまくら)に武士政権を作りましたが、14世紀中ごろには武士政権も京都に戻り、結局は関東は田舎のままでした。
その頃の東京は「江戸(えど)」と呼ばれていました。
東京を整備した男「徳川家康(とくがわいえやす)」
1560年、関西の有力武士「豊臣秀吉(とよとみのひでよし)」と関東の有力武士「北条氏政(ほうじょううじまさ)」の戦いがあり、豊臣秀吉が勝利しました。その時の恩賞として江戸の地をもらったのが、豊臣秀吉の部下で「徳川家康(とくがわいえやす)」という静岡(しずおか)県出身の武士でした。
家康は、15世紀半ばに建てられた「江戸城」に入居し、単なる城下町の1つだった江戸を大都市へと改造する計画を立てます。
やがて豊臣秀吉が没すると、その遺志を継ごうと部下同志の争いが起き、最終的に家康が勝利し、武士政権の長である「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」となりました。
以後の約300年間、徳川家出身の15人の将軍たちが日本を統治した時代を「江戸(えど)時代」と言います。
徳川家康ゆかりの観光スポット4選
1.皇居東御苑(こうきょひがしぎょえん)
皇居(こうきょ)は天皇(てんのう)が住んでいる場所ですが、元はと言えば江戸城です。
江戸時代が終わり、首都機能が東京に移った時に、天皇も京都から天皇に引っ越しました。
現在、一部が一般公開されていて、江戸城の土台や門跡、庭園などを見学できます。
またスマートフォンアプリの音声ガイドは、英語や中国語などの6ヶ国語に対応しています。
名称 | 皇居東御苑 |
オフィシャルサイト | http://www.kunaicho.go.jp/event/higashigyoen/higashigyoen.html |
電話番号 | 03-3213-1111(宮内庁) |
住所 | 東京都千代田区千代田(とうきょうと ちよだく ちよだ)1-1 |
地図 | |
営業時間 | 3月1日~4月14日・9月1日~10月30日:9時~4時半 4月15日~8月31日・11月1日~2月末日:9時~4時 月・金・12/28~1/3・その他行事のある日は休園 |
2.愛宕(あたご)神社
愛宕神社の大元は京都にあり、火の神を祀る神社です。
木造の家が密集し、火事になりやすかった江戸を守るため、家康が命じて建てました。
名称 | 愛宕神社 |
オフィシャルサイト | http://www.atago-jinja.com/ |
電話番号 | 03-3431-0327 |
住所 | 東京都港区愛宕(とうきょうと みなとく あたご)1-5-3 |
地図 | |
営業時間 | 24時間開放(社務所の受付は9時~17時) |
3.増上寺(ぞうじょうじ)
家康の葬式が行われた寺です。以来、徳川家代々の菩提寺(ぼだいじ)となり、歴代将軍の墓があります。桜の花が咲く時期になると、境内がライトアップされて大変きれいです。
名称 | 増上寺 |
オフィシャルサイト | http://www.zojoji.or.jp/ |
電話番号 | 03-3432-1431 |
住所 | 東京都港区芝公園(とうきょうと みなとく しばこうえん)4-7-35 |
地図 | |
営業時間 | 9時~17時 |
4.芝東照宮(しばとうしょうぐう)
家康の死後、家康を江戸の守り神として祀った神社です。
名称 | 芝東照宮 |
オフィシャルサイト | http://www.shibatoshogu.com/ |
電話番号 | 03-3431-4802 |
住所 | 東京都港区芝公園(とうきょうと みなとく しばこうえん)4-8-10 |
地図 | |
営業時間 | 24時間開放(社務所の受付は 9時~16時30分) |
実は、家康の墓は東京都内にはありません。
遺言により、増上寺で葬儀が行われた後、静岡(しずおか)県の久能山東照宮(くのうざん とうしょうぐう)で西の勢力を睨むように立った姿で埋葬され、その一年後に今度は北を守るために栃木県の日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)に分霊されました。
家康は最期まで江戸を案じ、死後も江戸を守ろうとしました。
家康が作った「江戸」の都市計画は大成功し、西洋文化が入ってきても、都市構造はそのままで「東京」となりました。
『東京の歴史巡り②』に続きます。